「大使発」ミクロネシア便り 日本とミクロネシアをつなぐ海、そして絆

 

明治から大正時代に入ろうとした時期に、土佐出身の一人の男が小さな帆船でトラック諸島(現在のミクロネシア連邦チューク州)に上陸した。南洋雄飛を夢みたこの22歳の青年は、現地の酋長の娘と結婚し、11人の子供をもうけ、1945年まで終生トラック諸島で過ごした。この青年、森小弁から始まるモリ・ファミリーは、現在、おおよそ2,000人以上はいると言われ、現在の第7代ミクロネシア連邦大統領のエマニュエル・モリは、小弁から数えて4世代目にあたる。そして約120年後の昨年10月、高知県龍馬空港からミクロネシアのポンペイ国際空港に約80名を乗せた直行チャーター便が飛来し、小弁の親戚、末裔、友人たちはモリ・ファミリーにより熱狂的に迎えられた。高知県とミクロネシアとの関係を物語る出来事であった。

 

ミクロネシアは、かつて南洋群島とよばれた時期もあり、日本による委任統治時代を経験した人たちには日本語を話す人たちもおり、日常生活でも日本語の語彙が相当数使われている。607の島からなっている島嶼国であるが、東西にまたがる国土は、2,500キロもあり、太平洋の中西部に位置する。日本の家庭の食卓にのぼるマグロ、かつおの80%は、中西部太平洋の海域からの漁獲であり、その中でミクロネシアが占める排他的経済水域(EEZ)は広大であり、我が国漁業資源の確保上、極めて重要な国である。

 

ミクロネシアは、現在、2023年問題という大きな挑戦に直面している。ミクロネシアと米国との間に自由連合協定(COMPACT)が結ばれているが、この協定の下、2023年まで米国からの財政支援が約束されており、その規模はミクロネシアの国家予算の約半分近くを占める。その支援が、2023年を持って終了することになっている。第二次世界大戦後、米国の信託統治にあり、1986年ようやく独立したが、今、名実ともに独立国としての経済的な自立をしていかなければならない局面に立たされている。モリ大統領は、このため2023年計画委員会を立ち上げ、いかにミクロネシアがこの問題を乗り越えていくか、そのための方途としてこれまでの信託基金の積み増し、観光、エネルギー、漁業、農業の4分野を柱とした経済社会開発の促進を目標に掲げ、経済的な自立に向け走りだそうとしている。残された時間は10年足らずである。

 

(民間外交推進協会(FEC)ニュース2014年3月号より)

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